《オー・ハッピー・デー》
『オー・ハッピー・デー』という曲名を聞いたことがあると思います。
この曲は「天使にラブソングをU」という映画の中でも歌われていますので、曲を聞けばほとんどの人がわかる歌です。『オー・ハッピー・デー』は、『アメイジング・グレイス』と同じようにゴスペルの定番の曲で、世界的にも有名です。(ゴスペルとは黒人教会で歌われた黒人霊歌が元になっているジャンルの曲を指します)
1969年に、エドウィン・ホーキンスという人が『オー・ハッピー・デー』を含むアルバムを自主制作したところ、この曲は爆発的な人気を博しました。そして、最終的にグラミー賞を受賞して、現在までに700万枚を超える売れ行きを記録しているそうです。
〔大塚野百合著「賛美歌・唱歌とゴスペル」p.208〕
ところで一般的に「信仰」というと、逆境や悲しみに対抗するための修養のような印象を持つ人が日本人には多いと思いますが、ゴスペルを元気に歌うような信仰スタイルは、日本人の宗教イメージからは、かけ離れたものではないでしょうか。
『オー・ハッピー・デー』は、次のような意味の歌詞が元気に歌われています。
1. 主イエスを知りたる 嬉しきこの日や
いやしき身をさえ 救わせたまえり
(折り返し)
君にむつぶ(親しくする) この日ぞ嬉しき
嬉しきこの日や 嬉しきこの日や
君にむつぶ この日ぞ嬉しき
2.イエスこそわが君 わが身は主の民
いずこへなりとも 御旨(みむね)のままに
3.くすしき御旨を 日に日に悟れば
いかなる時にも 君より離れじ
「信仰」というもののイメージについてですが、日本人の場合、立派にならなければならないというイメージを持つ人が多くいます。このようなイメージを持つ背景には、神と人間との境がないことがあるのではないでしょうか。
自然も人間も「宇宙という一種の神」の一部であるという思想を、ぼんやりと持っている人が私たち日本人には多いと思います。そのような背景がある中で信仰を持つということは、神のようになる特別な行為を行うことになるのではないでしょうか。特定の信仰を持って立派に生きている人も確かにいますが、信仰が神のような人になることであれば疲れてしまいます。そして、偽善を生む温床にもなりかねません。
ゴスペルのような賛美の背景には、神は神であり、人間は人間であるという前提があります。神のもとで喜び楽しみ感謝するという思いがゴスペルの中には溢れています。
ゴスペルはアメリカの黒人教会に起源がありますが、『オー・ハッピー・デー』は、イギリス人の牧師フィリップ・ドッドリッジによって作詞されました。また、『アメイジング・グレイス』もイギリス人によって作詞されたものです。ですから、ゴスペルが表現していることは、黒人だけが表現したことではなくキリスト教が表現していることでもあります。
教会に行くと、立派になることや良い行いをするように説教されるのではないかと想像する人もいるかもしれませんが、そのようではありません。教会が伝えていることは、神のもとで喜び楽しみ感謝することです。ぜひ、教会においでください。
〔大泉聖書教会 牧師池田尚広〕