《日本の歴史の転換点》

日本の歴史の転換点というと「明治維新」を想像する人が多いと思います。それ以前の転換点はいつの時代かというと、戦国時代から江戸幕府が成立したばかりの時代だったのではないでしょうか。誰が天下を取るかによって日本の歴史は変わり、私たちの習慣も変わっていたと考えられるからです。

今では家制度というものはほとんど崩壊しましたが、それでも家と檀家となっている寺の関係は続いている場合が多いようです。それぞれの家と寺を結びつけている檀家制度は、江戸幕府がキリシタン禁制を名目に、宗旨人別帳の作成を法令化してできたものです。ですから、キリシタン禁制というものがなかったなら、檀家制度もなかったということとなります。また、日本の宗教といえば仏教だという意識も国民の中には形成されなかったかもしれません。

為政者は急激な社会の変化を嫌うものです。戦国時代からキリスト教信仰を持つ者が急激に増えていきました。その原因の一つとして、立教大学の専門クラスで学んだ人からら聞いたことですが、キリスト信者が死者を丁重に葬っていたことが人々を惹きつけたという事実があるそうです。つまり、日本ではそれまでは死者は丁重に葬られていなかったというわけです。

キリスト教では、死者が神となるという発想はありませんが、死者は丁重に葬られてきました。

 死者の体を丁重に扱う理由は、そうしないと祟り(たたり)があるとか、そのような理由ではなく、その体は神がその人に与えたものであるという理解から来るものです。西欧社会でも自殺はありますが、自殺はひじょうに悪い行為とされています。なぜなら、その人は神がその人に与えたものを殺すという行為をしたことになるからです。

また、キリスト教で死者が丁重に葬られた理由は、死は忌み嫌うべきものではなく、その人に預けられた命が神に返される時という理解があったからだと考えられます。日本では昔から死を話題にすることが避けられてきたように思います。死は忌み嫌うべきことであり、それを話題にすることは非常識とされました。人が亡くなれば、悲しくない人は誰もいませんので、人の死は悲しみを伴っていることには違いありませんが、死に関することは触れてはいけないという発想はキリスト教にはありません。

先祖崇拝というものは大昔からあったと思いますが、江戸幕府が始めた檀家制度によって先祖のための供養や法要の回数が増えていきました。それと共に、先祖はますます神格化され、極端な場合しっかり供養しないと子孫に祟り(たたり)を及ぼす存在として理解されるようにもなりました。ある人が「私が死んだら、子孫を祟るようなことは決してしない」と言っていましたが、先祖は子孫を祟るようなことはしないと思います。

私たちの考えや習慣は、歴史が作り上げた部分が大きいと言えます。もし、歴史が変わっていれば、私たちはまったく違った人生を歩んでいたかもしれません。それでも、何が良いことで何が良くないことなのか、その区別はあるはずです。

キリスト教とは聖書でありイエス・キリストです。人から聞いたキリスト教理解ではなく、ぜひ聖書からあなた自身が書かれている内容を受け取っていただきたいと願っています。 

〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕