2025年4月号(この世界をどのように見るか)

《この世界をどのように見るか》
学校の校歌が流れる一番有名な場所は、高校野球の聖地でもある甲子園ではないでしょうか。
試合が終わった後に勝利した学校の校歌が流れるわけですが、その中には特徴的な歌詞の校歌もあります。1976年の夏の大会で桜美林高校という高校が優勝しましたが、校歌の歌詞には「イエスと叫ぼうよ」というフレーズあり、このフレーズは多くの人にインパクトを与えたように思います。また、優勝したことはありませんが滋賀県の近江兄弟社高校の校歌は英語の歌詞で、歌詞の中に「Christ as our model and our goal」(私たちのモデルでありゴールとしてのキリスト)というフレーズがあります。


この近江兄弟社高校はキリスト教の宣教師(プロテスタント)であり建築家でありビジネスマンでもあったヴォーリスという人が作りました。ヴォーリスが設計した有名な建築物はミッションスクールの建物の他にも、大丸百貨店心斎橋店、大同生命ビルなどがあります。彼が設計した建物は、1,600を超えると言われており、今でもその多くが現存し一般市民による保存要請があったこともありました。
 ヴォーリスのビジネスマンとしての働きは「事業を通して社会奉仕を」というスローガンのもとに設立された近江兄弟社の設立によっても知られています。
 日本人にとって、宗教とは「物欲に支配されない」とか「いつも落ち着きを持つ」などの精神修養のためにあると理解したり、逆に「ご利益」のためにあると理解しているように思います。しかし、キリスト教の考え方はそうではなく、ヴォーリスのような人物がキリスト教の考えを形に表していると言えます。
「キリスト教」というものに対して、ある人はガリレオ裁判のような科学を否定した態度を取る存在として理解しているかもしれません。「コペルニクス的転回」という言葉を聞いたことがあると思いますが、その意味は「発想を根本的に変えて、物事の新しい局面を切り開くこと」という意味です。コペルニクスはガリレオよりも先に「地動説」を唱えたことでそのような言葉ができています。ところで、コペルニクスは科学者であると共にカトリック教会の司祭でした。それなのに、なぜ彼は教会から処罰を受けなかったかは定かではありません。


名古屋大学名誉教授の三田一郎氏は自身の著書で次のように書いています。「コペルニクスは司祭として心から神を敬っていました。・・・そしてコペルニウスには、敬愛する神がどのように宇宙を創ったのかを知りたりという純粋な欲求がありました。」(※1)
カトリックであれプロテスタントであれ、この世界は神によって創られていて、その中にある法則を知ることは神の知恵を知ることであるという理解を持っています。
キリスト教の長い歴史の中では文明を否定して世間から隔離された世界に住むような行動も見られましたが、そのような行動は中世になってから行われたものです。


表のページでヴォーリスのことを紹介しました。宣教師という立場と会社経営者という立場は彼にとって何の矛盾もないものでした。日本の社会は、宗教とは物やお金と無縁であるべきだという考えと、宗教はご利益のためにあるという考えの両極端の考えがあります。物やお金は汚れたものではありません。そのようなものを神の立場に置くことが問題であって、大切なのは使い方です。
これらのことについて、教会においでくださって、さらに知っていただければ幸いです。
〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕
(※1)三田一郎著、講談社「科学者はなぜ神を信じるか」
p.61より