《犠牲の中に見る真実》
1986年にできた映画に「ミッション」という映画があります。今は映画館に行く人は少なくなっているようですが、当時は多くの人が映画館に行っていた時代ですから、「ミッション」を観た人も大勢おられるのではないでしょうか。
この映画は、カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー撮影賞、ゴールデングローブ賞 脚本賞、ゴールデングローブ賞 作曲賞、英国アカデミー賞 作曲賞を受賞している映画で、事実に基づいて作られたものでした。
話の筋は次のような内容です。1740年代、現在の南米パラグアイ付近にスペイン人の宣教師が宣教していました。その住民によって多くの宣教師が殺されましたが、しばらくして信じる者たちが出てくるようになりました。それから数年経った時に、その地域がポルトガル領になることで住民には立ち退きが命じられました。住民と共に歩んだ宣教師たちは住民と共に退去を拒み、現地の者たちと共にスペイン・ポルトガルの連合軍によって殺されることを選んだのでした。
現在、南米の国々ではキリスト教(おもにカトリック)が信じられています。
江戸幕府がスペインやポルトガルは日本の占領を容易にするためにキリスト教の宣教をしていると警戒したことは、皆さんご存知だと思います。確かに、南米でも日本でも本国の政治家とつながっていた宗教家もいたようですが、原住民たちが信じた背後には、ある宣教師たちの命がけの行為があったことを知っていただきたいと思います。
20世紀前半に日本軍が朝鮮半島に進出した時、神社を建てて現地の人に拝ませようとしました。それは、スペインやポルトガルの行動から、「宗教は占領を容易にする」と思ってしまったからではないでしょうか。しかし、朝鮮半島での神社建設行為はまったく逆効果となりました。決定的に違う点は、命の危険を覚悟してまで伝えようとした者たちがいたかどうかということでした。
映画「ミッション」の舞台となった地域で原住民のグアラニー族に宣教していた宣教師たちは、最初は抵抗されて多くの宣教師たちが命を落としていました。しかし、しばらくして原住民たちは心を開いてくれるようになったのでした。人間は、力で一方的に押し付けられて信じる存在ではありません。
信仰上の迫害は現代でもあり、イスラム教が盛んな国で宣教したキリスト教の牧師たちが殺害されるということが数十年まえに実際にありました。イスラム教は宣教をせずに子どもを産んで増やす宗教なので、キリスト教の牧師たちが自分たちに宣教をするのは反則だという考えだったようです。
死を覚悟してまで宣教する者たちは、自分たちの勢力拡大という目的のために行動しているのではありません。勢力拡大が目的なら、そんなことのために死ぬのはいやなので、ほとんどの者たちがやめていくはずです。彼らが死を覚悟してまで宣教するのは現地の人たちに永遠のいのちを得て欲しいからです。私たちはすべての人の魂は同じ神によって造られていると信じています。そして、その神が聖書で預言されているように、人の罪を贖うために救世(きゅうせい)主(しゅ)(キリスト)を送ってくださり、その事実を信じる者が永遠のいのちを得るということを信じています。そのことを受け入れていただくためには時として命の危険もありますが、信じた者たちが平安に生きていく様子を多く見てきています。教会ではあなたのおいでをお待ちしています。
〔大泉聖書教会牧師 池田尚広〕