《人生の教科書》
以前、皇居の中で皇室を対象とした聖書研究会が開かれていたことがあります。国会議員の中でも、現在まで続く聖書研究会(国会聖書研究会)があります。キリスト教主義大学では当たり前のように聖書研究会がありますが、それ以外でも多くの大学で聖書研究会が開かれています(例:東大聖書研究会)。
このように私たちの国でも聖書は「人生の教科書」として理解されてきた歴史があります。しかし、エホバの証人の輸血拒否が話題になった頃から、この国では聖書は危険なものとして理解されてきたように思います。ただし、いわゆるキリスト教国では、エホバの証人のような聖書解釈をする団体が出てきた時には、「変わった聖書解釈をする団体が出てきた」ぐらいの理解がされただけでした(キリスト教会の歴史は約2000年ですが、エホバの証人という組織は19世紀後半のアメリカで誕生した組織です)。しかし、日本のようなクリスチャン人口が少ない国では聖書そのもの対する疑いを多くの人が持ったのでした。
日本がバブル経済に沸くまえぐらいの時代には、各自が人生の教科書を求める思いを持っていたように思いますが、その時代以後には危険なカルト宗教が出てきたことが影響したこともあって、宗教的な事柄を排除すると共に各自が人生の教科書を求める思いもなくなってきたように感じます。
ところで、戦前や戦後に日本で有名な企業を作った人たちの中には宗教的な思想を持っている人たちが今よりもいました。何かに挑戦したり、今までの仕組みを大胆に変えたりする時には、理念や思想が必要になることがあります。哲学と信仰を完全に分けることができないのは、たとえば物理学者のパスカルが哲学者であり信仰者であったことからも分かります。しかし、現在の日本では多くの人は信仰的な事柄に対して警戒感を持つと共に、各自が人生観とか理念などを持つことも避けていることがあるのではないでしょうか。そして、「みんながどのように考えるか」を第一にしたり、間違わないことを優先し、失敗する可能性があることはしないようにしている気がします。
土曜日に放送される日本の未来を考える番組で、ある元官僚の人が「日本人というのは、目標が設定されたらそれに向かってビューと行く目的遂行能力はすごい。ただし、『これからどこへ行きますか。目標を自分で探しなさい』と言うと、これの能力がないのです。『どこへ行けばいいんですか。』ということになる。」(※1)と語っていました。この人の言葉から想像すると、このままでは日本では革新的なことは起きないということが言えるのではないでしょうか。「どこに向かって行くか」ということを考える場合、人生観とか思想や理念というものが必要になってきます。
教会では毎週の礼拝の他に聖書の学び会などもありますので、ぜひ教会においでくださって聖書を正しい解釈のもとで学んでくださることを願っています。〔大泉聖書教会牧師池田尚広〕
(※1)BSテレ東「一柳良雄が問う日本の未来」2026.1.10.(土)